小牧長久手の戦いと言えば、豊臣秀吉と徳川家康がガップリ戦った唯一の戦(いくさ)。教科書にも小さく乗っているはずの歴史上の大事件です。
そしてその舞台のひとつが、この愛知県小牧市にある小牧山城。織田信長が築城しました。そのときの石垣が今も発掘中で、日本最古のお城の石垣となるそうです。
信長亡き後の、小牧長久手の戦い。ここには徳川家康が陣を張りました。
NHKの大河ドラマ「どうする家康」ではその戦いの推移が、詳細にまた面白く描かれました。
でも知らなかったことが一つ。
小牧山歴史館の職員のおじさんがわかりやすく教えてくれたことによると、小牧から戦場の長久手に、時間を同じくして両軍が行き着いた理由があると。
なぜなら秀吉軍は2日も早く家康のお城である浜松を目指して出たはずだから。しかしその軍を途中で足止めしたのは、兵が200人しかいない岩崎城というところの城主。
もちろん全員討ち死にしましたが、家康軍が追い付くための時間稼ぎには十分なりました。岩崎城。初めて知りましたが影の功労者。泣けるお話です。
結果は長久手においては家康軍の勝利。しかしその後秀吉の策略によって両者は和睦し、その後家康は秀吉をリーダーとして認めることになりました。
そういう歴史の舞台である、濃尾地方に住んでいながら、まったく無関心でした。でもそれはもったいないですね。
「どうする家康」効果なのか、またはもうすぐ公開される北野たけしの映画「首」の影響か、この日も訪れる人がいっぱいでした。
最上階からの眺め。最初に織田信長が建てたとき、こんな景色になるとは思ってなかったでしょうね。
これが小牧山歴史館の内部。りっぱなお城みたいになっています。
あちこちに徳川家の葵の御紋が。はは~と頭を下げたくなるのは、古い人間だからですね。
近場にある歴史的建造物で、運動にもなる小高いお山。きっとまた来ようと思いました。
今日のお花:ジュリアン