春日井市の落合公園は我が家から歩いて15分ほどなので、秋と春は毎週散歩に出かけている。特に春はいろんな花が咲くのが楽しみだ。
自宅の庭の芝桜に始まり、
新緑を愛で、
名残の桜にしみじみとする。桜餅みたいだ。
年齢とともに、花が咲くことに喜びを感じてしまうのは、生きてきた時間が長いことで年月が過ぎるのが早く思えることと関係ありそうだ。
子供よりも大人が、時が過ぎるのを早いと思うのは、生きてきた年月が長いから。長い人生の中の1年・つまり分母が大きいのでそう感じるという説が私は有力だと思う。
つまり、短い1年の移り変わりを「あ、もうあの花が咲いたのか」というようにわかりやすい自然現象で知ると、「ああまたその季節になったのか」という、しみじみとした気持ちになるのである。
そして、例えばヤマブキが満開になると「京都の松尾大社も満開かなあ」と思い出の場所のことが浮かんだりもする。
こんなふうに、年齢とともに人は花が咲くと格別の気持ちが芽生えてくるものなのだ。高齢者が花を好むようになるのはこういうことに違いない。
サツキが今年は咲くのが早い気がする。
黄砂で煙る落合公園の中心部。ほんとうにいい公園だ。
帰り道の自宅近くのコデマリ。20歳の時に習っていた生け花で憶えた花だった。いやいや行ってたなあ。
あまりにも思い出してばかりなのも辛気臭いが、思い出がたくさんあるからしょうがない。休日はこんなボヤっとした感じでいいや。